雪のかまくらはいつ頃からあったのでしょうか?
なぜ、かまくらというのでしょうか?
今のような形のかまくらになったのは、戦後になってからのようです。
その昔はどんなかまくらだったのでしょうか?
南北に長い地形を持つ日本は、季節ごとに各地に様々な姿を見せてくれます。
特に、北国と言われる北海道、東北、北陸の冬は雪景色一色で覆われます。
一冬5ⅿ以上の積雪になる事もざらで、それこそ一面雪に包まれます。そんな雪国では子供の遊びも限られてきます。
皆さんがご存知なところでは、やはり『かまくら』でしょうか。
雪で作った小山の中をくり抜き、雪の蔵を作ります。子供達にとっては、大好きな秘密基地の様で楽しくて仕方がないでしょう。
雪国の生活の知恵の一部です。地域によってはかまくら自体が行事になっている所もあります。そんなかまくらについて少しご説明致します。
かまくらの由来や歴史について
『かまくら』という言葉には2つの意味があります。一つは遊びで作るものと、もう一つは祭事のための行事としてのかまくらです。
元々かまくらは、東北地方で行われていた水神様をお祀りする行事でした。
農村では農耕に繋がる火や水に対する感謝を捧げる正月の行事として、
武家社会では旧暦の1月14日に四角い雪の箱を作り、
しめ縄等を入れお神酒を備え焼く左義長、
商人の間では旧暦の1月15日井戸の側に雪穴を作り、
雪の降る時期の水不足に対して水神様を祀りました。
本来かまくらは、水神様を祀っていてお賽銭や甘酒などをあげていました。
そして、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈っていたのです。
昭和の初め頃までのかまくらは四角で、屋根が落ちたりして危険だということで、一時的にかまくらを禁止していました。
その後、改良されて今のような丸いかまくらになったのは、昭和34年の頃です。
その年に、横手市ではモデルかまくらとして、かまくらの作り方を教えています。
なぜかまくらというのか?
かまくらの語源のいわれも色々あります。
一つはカタチからで竈(かまど)に似ている事から「竈蔵」が元となったもの、
鎌倉大明神を祀ったとされるもの、
雪室が神様の神坐(じんざ、かむくら)である事から神坐がかまくらに変わった等の諸説あります。
それぞれに意味がありどれが合っているとも言えませんが、色々な習慣が集まり今に繋がっていますのでそれぞれのいわれを楽しみましょう。
かまくらのイベント紹介
かまくらを使った行事として真っ先に思い浮かぶのが秋田県横出市の「横出のかまくら」ではないでしょうか。
横出のかまくらは450年もの歴史があります。毎年2月15日、16日に行われる冬のみちのくの風物詩です。
1936年(昭和11年)ドイツの建築家ブルーノ・タウトがかまくらの幻想的な姿を見て感動、絶賛し世界中に伝え有名になりました。
その後、纏を模した「ぼんでん」の行事と合わさり、1952年(昭和27年)より雪まつりとして開催される様になりました。
当初は町のあちらこちらでかまくらが見られたのですが、交通量が多くなった現在では「かまくら通り」を設ける等規模も縮小されました。
最後に
かまくらの行事は他にも、秋田県美郷町の「六郷のカマクラ」、秋田市楢山太田町の「楢山かまくら」、新潟県小千谷市の「山谷・坪野ほんやら洞まつり」等があります。
秋田で行われるものが多く、やはり秋田の行事というイメージがあります。冬の雪国の行事は中々ありませんので、ぜひ1度観光に行かれてはいかがですか。
コメント