どもっ!相撲好きの管理人です。今日は横綱土俵入りの型についてみていきたいと思います。
相撲の本場所では、十両と幕内力士の土俵入りが毎日見れますね。中でも横綱の土俵入りは、1人づつやるので目立ちますし、かっこいーですよね!
そんな横綱土俵入りですが、なんとなく感心してみているだけだったのですね。
でも、ある時にふと型そのものに興味を持って、名前や体勢、歴史などをチェックしてみたら、土俵入りを観るのが楽しくて楽しくて仕方がなくなりました。やっぱり知識があると楽しみ方が変わります^^
調べてみると、土俵入りの型には「雲竜型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の2種類があります。
この二つの型の違いって知ってましたか?型の種類やその違いって、実はそう難しいものでもなく、理解すると、すぐにわかる簡単な違いでした。
また、過去の横綱でも雲竜型を選ぶ方が多いようなのですが、その謎も調べてみました。この記事を通して、横綱土俵入りをちょっと理解して、今後の相撲観戦をより楽しみましょう。それでは、一緒にみていきましょう。
横綱土俵入りの型について
横綱土俵入りでは、雲龍型と不知火型の二つがあります。横綱になった時に、どちらにするのかは、親方と相談して決める事が多いようです。
この二つの型の始まりは、
- 1861年(明治6年)に横綱になった、第10代横綱「雲竜」
- 1863年(明治8年)に横綱になった、第11代横綱「不知火」
の土俵入りの型が残ったものとされています。
それ以前は、横綱土俵入りでは様々な型があったようですが、現在に残っているのは、この二つだけです。
この二つが残るきっかけになったのが、
- 1903年(明治36年)に横綱になった、第20代横綱「梅ヶ谷」:雲龍型
- 1910年(明治43年)に横綱になった、第22代横綱「太刀山」:不知火型
この二人の横綱が雲龍型と不知火型を広めたと言われています。
さて、ここから少し話がややこしくなりますが、
不知火型を考案したのが、雲竜
雲龍型を考案したのが、不知火
のようです。そして、途中で名前だけが入れ替わったようです。ややこしいですね。
この時の土俵入りがあまりにも美しかったことから、
横綱の梅ヶ谷が雲龍型を横綱の太刀山が不知火型を披露したことから、この後の横綱土俵入りでは、どちらかの型が使われるようになりました。
雲竜と不知火が横綱になった頃は、まだ明治の初め頃なので、ビデオなどはなく錦絵か写真だけのようです。実際の動きは、見た人の記憶の中だけにあるものですね。
雲竜の土俵入りの錦絵がこちらです
雲龍型と不知火型の違いとは?
雲龍型と不知火型の違いとは、せり上がりの時の手を曲げるか伸ばすかの違いがあります。
下手くそな絵ですが、管理人が書きましたのでご覧下さい。
雲龍型
右手は伸ばして、左手は曲げる。右手:攻め 左手:守り
不知火型
両手を伸ばす。攻めの型
雲龍型が守りの型と言われていて、不知火型が攻撃の型と言われています。
先ほどの、雲竜の土俵入りの錦絵をもう一度ご覧ください!不知火型の土俵入りですよね。やはり、途中で名前が入れ替わったのはホントのようですね。
横綱の廻しの前に垂れている、ギザギザの白い紙は、「紙垂(しだ)」と言います。紙垂とは、神社や正月飾りの注連縄(しめなわ)の前に垂れている、ギザギザの白い紙です。
相撲も神事とされていて、横綱が巻く綱も神聖なものとされているので、注連縄と同じ扱いなのですね。
画像では5本と3本で書きましたが、ほとんどの横綱が5本です。紙垂は基本的に奇数になるようです。
日本各地でも、岩とか杉の木などに注連縄が巻かれている事がありますね。それは、そこが神聖な場所だという事です。
締める縄の違い
力士の後ろで締める縄にも違いがあります。この綱は白い麻でできていて、綱を締められるのは横綱だけなのです。この白い綱のことを「横綱」とよんでいます。
雲龍型
縄の輪が一つになっています。
不知火型
縄の輪が二つになっています。
なんどもしつこいようですが、先ほどの雲竜の土俵入りの錦絵を見ると、やはり綱の輪が二つになっていますね。名前が入れ替わったのがさらにホントのような気がしてきましたね。
雲龍型が不知火型より多い理由とは?
タイトルにつけて起きながら、随分と引っ張ってきましたが、雲龍型が不知火型より多い理由ですが、雲龍型の方が横綱の在位が長い力士が多いという事と強い横綱が多いとう事です。
また、大横綱もみんな雲龍型だった事です。やはり横綱というのは、力もあるでしょうが、運というのもあるので、どうせなら運がいい方を選ぶのでしょう。
例えば、1903年(明治36年)に横綱になった、第20代横綱「梅ヶ谷」が雲龍型をやったあとの横綱では、稀勢の里まで40人が雲龍型を選択しています。
また、1910年(明治43年)に横綱になった、第22代横綱「太刀山」が不知火型をやった後の横綱では、日馬富士まで10人しか不知火型を選択していません。
優勝回数が10回以上の横綱 ()は優勝回数
- 常の花(10回)
- 双葉山(12回)
- 栃錦(10回)
- 若乃花(初代)(10回)
- 大鵬(32回)
- 北の富士(10回)
- 輪島(14回)
- 北の湖(24回)
- 千代の富士(31回)
- 曙(11回)
- 貴乃花(22回)
- 武蔵丸(12回)
- 朝青龍(25回)
この歴代横綱が全員雲龍型を選択しています。しかも、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花は大横綱とされる一代年寄も襲名しています。(千代の富士は九重も取得しました)
不知火型で10回以上の優勝をしたのが、白鵬のたった一人です。
不知火型を選んだ、玉の海は横綱在位中の27歳で肺血栓の病で亡くなっています。琴桜は8場所、双羽黒は8場所、旭富士は9場所、若乃花(3代目)は11場所、と横綱在位期間が短い事もあり、短命の横綱との印象が強くなっています。
簡単に言えば、横綱を先導したり、付き人であるなどの役割を持っているのがこの2人。
詳しくは以下の記事に記しています。更に横綱土俵入りを楽しむことに繋がってきますので、ぜひ合わせてチェックしてみてくださいね。
⇒太刀持ちと露払いの意味を徹底解説!色んな視点から見てみるよ!
横綱土俵入りの型と一門の関係
比較的同じ一門で、同じ型を選ぶ事が多いようです。
雲龍型
- 時津風一門
- 出羽海一門
- 高砂一門
不知火型
- 伊勢ケ浜一門
- 二所ノ関一門
※貴乃花一門からは、まだ横綱が出ていないのでどちらになるかはわかりません。
全ての横綱がこの通りに、型を選んでいるわけでは無いようです。
貴乃花は雲竜型を選びましたが、若乃花は不知火型を選んでいます。同じ部屋でも違う型を選んだのですね。
稀勢の里は二所ノ関一門ですが、雲竜型を選んでいます。相撲部屋も他の一門に変わる事もありますので、最近では一門で型を選ぶ事はなくなっているようですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。横綱土俵入りの雲竜型と不知火型の違いやどちらを選ぶのかなどについてみてきました。
管理人の下手くそな絵に付き合ってくれて、ありがとうございます。感謝します。もう少し上手くなるように努力しますので、次は期待して下さい。
雲竜型が多い理由が、縁起がいいからという理由だったのですね。白鵬のように不知火型を選んでも、大横綱になって長く続けられると、今後は変わってくるかもしれませんね。
相撲の世界では最高の位置にいる横綱ですので、土俵入りにも皆注目しています。歴史にも残るものですので、選ぶときは慎重だと思います。
今後は、横綱土俵入りを見るときは、ちょっと知識が増えた分、楽しく見れると思います。管理人も色々と調べて、初めて分かった事などもたくさんあるので、次からの横綱土俵入りを見るのが楽しみになりました。
さて、稀勢の里の後には誰が横綱になるのでしょうかね?楽しみですね。
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