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本能寺の変を子供でもわかるように簡単に解説してみた。

歴史

数々の映画や小説、漫画、アニメなどの題材に選ばれることが多い織田信長。

日本での人気も高く、また外国の好きな武将としても人気が高い織田信長の最後、天下統一目前の悲劇「本能寺の変」。

たくさんの憶測や都市伝説などがあり、未だに謎が多い歴史上の出来事のひとつになっています。

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本能寺の変を大まかに言うとどう言うこと?

本能寺の変が起きたのは天正10年6月2日(1582年の6月21日)。

現在の岡山県、備中高松城を包囲中の羽柴(豊臣)秀吉の救援のために織田信長は動いていた。

途中の宿舎にしたのは京都の本能寺。

本能寺は織田信長、自らが滞在する場所として建設させたもののため、他の寺とは違い防御面が優れている場所である。

しかしこの夜は、本能寺自体は警戒を怠らず滞在場所としては適所だったのだが、兵の数が100といういつもよりも少ない人数であったそうだ。

そこへ謀反を起こした明智光秀が本能寺を襲撃する。

明智光秀の軍勢は明らかにはなっていないが、おそらく本隊の1万3000人がいたと言われている。

織田信長が厠を出た所を、明智光秀の先に潜入していた兵によって放たれた背中に矢が命中。

自ら武器を持って応戦するも今度は鉄砲が肩に命中。ここで本能寺内に入り障子をしめて火を放ち自害したとされている。

織田信長の遺体が見つかっていないのはなぜ?

本能寺の変、最大のミステリーといえば「織田信長の遺体」。

火の中で自害したとなっているのにその遺体が見つかっていません。

これは記録としても残っているそうです。しかしいくら木造建築の火事とはいえ骨まで燃えてしまうというのは不思議です。

なぜ遺体が見つからないのか。理由としては諸説ありますがこの2つの可能性が高いと思われます。

 

①備蓄していた銃火器の火薬により爆散してしまった

②家臣が明智光秀に見つかる前に持ち去った

 

信長と言えば鉄砲とも言えますが、所持していた銃火器はおそらく、持ち運んだもの以外に本能寺に装備していたものもあったと考えられるため、火薬量も多いと推測できます。

また、家臣である黒人の弥助が持ち去ったのでは?という考えがあるようです。

弥助は一度明智光秀に囚われますが後に無罪放免、その後の行方は知られていないようです。

そして「実は生きていた」という諸説も…しかしこれはこれまでの派手な織田信長の行動から考えると、その後も姿を現さないことから可能性はほぼ無いと思います。

「織田信長は死んでいない」という話は羽柴秀吉が、織田信長についていた者たちが、明智光秀に寝返らないようにこのような話を流したと言われています。

そのため味方を増やすことが出来なかった明智光秀の天下は短く終わったと考えられています。

明智光秀はなぜ裏切ったのか?

これも遺体同様、諸説あります。

 ①明智光秀が織田信長との関係に不満を抱いていた

織田信長の明智光秀に対する態度は酷いと有名です。

接待役の解任、キンカン頭というあだ名、母を殺されたというものが有名ですが、どれもいまいち決め手にはかけるもの。

接待役の解任というのは明智光秀の親友でもある徳川家康を招いた際のことなのですが、用意した魚が腐っているという文句をつけられたそうです。

しかし織田信長自ら魚を選んだという話もあり、ただイチャモンをつけられただけという見方もあります。

キンカン頭というあだ名につきましては羽柴秀吉の「サル」のように織田信長なりの籠愛のようなものかもしれません。

しかし「光秀」の文字をいじれば「禿(ハゲ)」の字が入るために明智光秀には勘に触ったのかもしれません。

最後の母の殺害も信憑性は低く、織田信長の行動により死を招いたのかもしれませんが、真実は分かりません。

これらの要因が積み重なり織田信長の自分に対する姿勢に怒りを感じて、謀反を起こしたと言われています。

この説にはノイローゼになったための無計画な突発的な謀反だったという説もあります。

また、自分だって天下を目指していいはずだと思っての行動と考える人もいるようです。

 ②黒幕がいて明智光秀が謀反を起こすよう誘導した

実行したのは明智光秀でもその背後に黒幕がいるという説も有名です。

黒幕説は朝庭・徳川家康・羽柴秀吉など他にも名前が上げられていて、可能性は無限大とも言えます。

しかしインテリ系の武将と言われる明智光秀を操れる人物…となると可能性も狭まりそう。

結局、どれも根拠には賭けていて黒幕はこいつだ!と断定できる資料も何もないそうです。

まとめ

長々と「本能寺の変」を説明してきましたがどれも「かもしれない」「考えられている」ばかりでやはり決め手は何もない。

謎が多いからこそ記憶に残りやすく物語の題材に取り扱われることが多いのでしょう。

真実が知りたいようでもありますが、このまま謎というのもミステリーで想像を掻き立てられます。

案外、破天荒だった織田信長も今でも注目されているこの状況を気にいっているかもしれませんね。

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